東京の川

LifeTeria blog ブログ

都知事選も下馬評通りの結果に終わりましたが、落選候補の中にも面白い施策を打ちだしていた方がいらっしゃいました。たとえば江戸城の復元とか。

コレ、いいなと思いまして。

実はぼくも以前から江戸城復元したら東京の観光スポットになるんじゃないかな?なんて思っていたんです。どうせ作るなら歴史考証を重ねてできるだけ当時の姿を再現する方向で。中にエレベーターとか作らないで(笑)。

まあ、実際問題として皇居がありますから警備上の問題をどうするかなどクリアすべき問題もたくさんありますが。

 

あと、ぼくが都知事になったら、ぜひ川の浄化と暗渠(あんきょ)になってしまっている川の復元を手がけたいですね。

 

麻布十番から白金方面に歩いていくと、高速道路の下に古川という川が流れ、「一の橋」「二の橋」「三の橋」「古川橋」「四の橋」と橋がかかっています。

 

永井荷風の「日和下駄」の「第六 水」の章、古川橋近辺の様子を引用してみましょう。

 

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 「溝川が貧民窟に調和する光景の中、その最も悲惨なる一例を挙げれば麻布の古川橋から三之橋に至る間の川筋であろう。ぶりき板の破片や腐った屋根板で葺いたあばら家は数町に渡って、左右から濁水を挟んで互にその傾いた廂を向い合せている。春秋時候の変り目に降りつづく大雨の度ごとに、芝と麻布の高台から滝のように落ちてくる濁水は忽ち両岸に氾濫して、あばら家の腐った土台からやがては破れた畳までを浸してしまう」

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なるほど。「日和下駄」の刊行は1915年ですが、すでに当時から「濁水」だったわけですね。

子どもの頃、何が恐かったって、この古川にかかる橋を渡ることほど恐いことはありませんでした。もし川に落ちたら(…そんなことはめったにあるわけはないのですが…)絶対に上がってこられないような深い深いドブ川と、そのドブ川沿いにひしめくみすぼらしい工場といった光景は子ども心にも何か陰惨で恐ろしいものでした。これだけ下水道が完備されている東京なのに、未だにこういう汚い川があることを不思議に思います。

 

あと、東京の街は第二次世界大戦後に多くの川を暗渠にしてしまいました。

渋谷に宇田川町という町名がありますが、町名の由来の宇田川はすでに東京オリンピックの前に暗渠化され今となっては地上からその姿を見ることはできません。

実は小学校の時に歌った「♪はーるのおがわはさーらーさーらゆくよ」の「春の小川」のモデルがこの宇田川の支流の河骨川だったなんて、信じられますか?

 

街の中にキレイな川があるって、なんだかステキな光景だと思うんですけどね。

 

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この土日は桜が見頃でしたね。

今年は不思議なことに満開宣言が出たあとも、大きく花開いたつぼみ、開くまでまだ数日かかりそうな固いつぼみが混在していて、少し長く桜を楽しめそうです。


自然の中にある桜はもちろん美しいのですが、都会の人工的な光景の中に咲く桜にも心うたれます。

 

夜桜見物の方は、温かくして風邪をひかないよう気をつけて下さいね。