こころに残ることば、こころに残る仕草があります。
それは、いつもは忘れているのに、ふとした瞬間に思い出したりする類のものです。
もう5年ほど前でしょうか、訳あって某企業(名前を出したらほぼ100%の皆さんが知ってる!と言うような会社です)の重役さんとお話しする機会がありました。
その方はぼくよりほんの少し年を取っているだけの若い重役さんで、おそらくは頭脳はぼくの数百倍もシャープで、それでいて威圧的なところはなく、物腰やわらかで全ての所作が洗練されていました。
とても仕立ての良いスーツの袖口から見えるのは確かピエール・クンツだったと記憶しています。
さて、用事が済んでその重役さんと別れるときのことです。
彼はエレベーターホールまで自ら見送りに来てくれました。
ぼくはエレベーターに乗り込み、エレベーターの中のぼくと、エレベーターホールの彼が向かい合う形になりました。
そして、エレベーターのドアが閉まる瞬間、彼は深々と美しいお辞儀でぼくを見送ってくれました。
思いがけず丁寧な見送りに、慌てたぼくははなはだ中途半端なお辞儀を返しました。
エレベーターの中で独りになったぼくは、エレベーターを降りるまでの短い時間に、いろいろなことを思いました。
彼はぼくみたいに(社会的に)偉くないひとにも、いつもああして丁寧に見送っているのか?
ぼくのいい加減なお辞儀で、彼はぼくのことを無礼なヤツと思っていないだろうか?
たかがお辞儀です。お辞儀ができたからといって、礼儀正しいひととは限りません。心の中にも相手を敬う気持ちがなければ、ほんとうの礼儀とは言えないでしょう。
でも、実際にひとを見送るときに、深々と最敬礼してサマになるひとなんてなかなかいません。ましてや、目下の人間に対してです。
その美しいお辞儀は、彼がぼくのことを軽んじていなかったであろうことが見て取れる、心のこもった儀礼に感じました。
なんでこんなことを思い出したかと言いますと、たまたま「船井総合研究所」のクレドを見たからです。
クレド(credo)とは「信条」という意のラテン語で「企業の信条や行動指針を簡潔に示したもの」を指します。「船井総合研究所」のクレドにはこうあります。
──────────────────
相手が見えなくなるまでお見送りをします。
お客様が来社されたとき、駅や空港まで送って頂いたときなど、必ずお客様が視界から消えるまで笑顔でお見送りをします。
一流の人との付き合いは、よい癖付けからはじまります。
──────────────────
とても具体的でわかりやすいクレドですね。
こういう儀礼を通して、ほんとうに相手を敬い、尊重する気持ちをいつしか持てるようになるのではないかと思います。
いつになくマジメな内容になりました。今日はオチありません(笑)。
写真は今日のランチ、自家製パンチェッタのアマトリチャーナ。
大盛りにしたらとんでもない量のパスタが出てきました。
もったいないから完食しましたが、午後はMINTIAを大量摂取しても眠気に襲われ仕事の効率が著しく低下しました…。
コメントをお書きください